顕彰の栞

笹森 順造 先生

明治19.5.18青森県弘前市生、昭和51.2.13逝去(享年89歳)剣道範士、小野派一刀流16代宗家、元国務大臣、勲一等瑞宝章、青山学院長、哲学博士、全剣連「剣道殿堂」別格顕彰

<略 歴>:明治43年早稲田大学政治経済学科を卒業後、新公論社主筆。明治45年渡米、苦学し大正4年デンバー大学博士課程修了。その間、北米武道会を設立し剣道普及。大正9年ロスアンジェルスに移り日本人会で剣道指導、移民労働者のために「排日反論(英文)」執筆。大正11年帰国、東奥義塾塾長。昭和14年青山学院院長。昭和22年国務大臣となり、復員庁総裁、賠償庁長官として敗戦日本の戦後処理に従事。占領下、連合軍に対し剣道全面禁止の阻止に奔走。全面禁止となった剣道の復活に尽力。昭和25年全日本撓競技連盟会長。昭和28年全日本学生剣道連盟会長。昭和29年全日本剣道連盟最高顧問。剣道の普及のため昭和30年「剣道」、昭和40年「一刀流極意」を上梓。

 

 

 

 

松本 敏夫 先生

明治41.3.17兵庫県伊丹市生、昭和62.7.24逝去(享年79歳)剣道範士九段、全剣連「剣道の理念」制定委員長

<略 歴>:昭和4年関西学院卒業後、南海電鉄に入社。昭和8年同社を退社、関西学院大学予科に奉職し、関西地区の学生剣道の指導にあたる。昭和22年川鉄商事入社、専務から昭和45年川商建材リース株式会社社長、のち相談役。戦後、学連OBの中心人物の一人として、関西地区における剣道復活と学連組織づくりに奔走。昭和39年関西学生剣道連盟会長。昭和46年全日本剣道連盟「剣道の理念」、「剣道修錬の心構え」の制定委員長(昭和50年3月完成)。昭和48年全日本剣道連盟副会長。昭和55年全日本学生剣道連盟会長。昭和57年11月に第1回全日本女子学生剣道優勝大会を開催。昭和63年当連盟第36回優勝大会に優勝杯寄贈。

 

 

 

 

 

ゴードン・ワーナー(和名 悟道)先生

大正1.10.24米国加州パサディナ生、平成22.3.4那覇市にて逝去(享年97歳)剣道教士七段、居合道錬士六段、剣道功労賞、勲三等瑞宝章、教育学博士

<略 歴>:昭和12年講談社野間道場で本格的に剣道修行のため来日、2年後外国人初の初段取得。昭和18年太平洋戦争において左大腿部から下を切断。昭和25年カリフォルニア大学博士課程就学中に剣道修行を再開、同大学剣道部創立。昭和30年ロングビーチ大学助教授、昭和37年同教授となる間、米国での剣道普及に努める他、昭和31年米国学生混成チームの選手として来日。昭和32年当連盟第5回優勝大会に優勝杯寄贈。昭和39年笹森先生と「This is KENDO」を共著出版。昭和41年琉球米国民政府教育局長として赴任、本土復帰に盡力。高校に武道場を設立。韓国、台湾等との国際的大会を開催。昭和47年沖縄国際大学教授。平成14年当連盟第50回選手権大会で記念講演。

 

歴 代 会 長
初 代 : 笹森 順造 : 昭和28年~49年
二 代 : 河合 堯晴 : 昭和50年~54年
三 代 : 松本 敏夫 : 昭和55年~62年
  四 代 : 丸山 義一 : 昭和63年~平成2年
五 代 : 松本 良諄 : 平成03年~08年
六 代 : 山本 恵造 : 平成09年~10年
七 代 : 橋本龍太郎 : 平成11年~18年
  八 代 : 鳥居 泰彦 : 平成19年~平成30年
九 代 : 中本 和洋 : 平成31年~現在